イザヤ52章13節~53章12節、詩篇22篇、ヘブル10章16~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 52:13 見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。
 52:14 かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように 彼の姿は損なわれ、人とは見えず もはや人の子の面影はない。
 52:15 それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見 一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。 
 53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
 53:2 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
 53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 53:4 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
 53:5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
 53:6 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
 53:7 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。
 53:8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。
 53:9 彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
 53:10 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。
 53:11 彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。
 53:12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし 彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで 罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。

 

詩篇 22:1  指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。 
 22:2 わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
 22:3 わたしの神よ 昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。
 22:4 だがあなたは、聖所にいまし イスラエルの賛美を受ける方。
 22:5 わたしたちの先祖はあなたに依り頼み 依り頼んで、救われて来た。
 22:6 助けを求めてあなたに叫び、救い出され あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
 22:7 わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。
 22:8 わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い 唇を突き出し、頭を振る。
 22:9 「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。」
 22:10 わたしを母の胎から取り出し その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
 22:11 母がわたしをみごもったときから わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
 22:12 わたしを遠く離れないでください 苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
 22:13 雄牛が群がってわたしを囲み バシャンの猛牛がわたしに迫る。
 22:14 餌食を前にした獅子のようにうなり 牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
 22:15 わたしは水となって注ぎ出され 骨はことごとくはずれ 心は胸の中で蝋のように溶ける。
 22:16 口は渇いて素焼きのかけらとなり 舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
 22:17 犬どもがわたしを取り囲み さいなむ者が群がってわたしを囲み 獅子のようにわたしの手足を砕く。
 22:18 骨が数えられる程になったわたしのからだを 彼らはさらしものにして眺め
 22:19 わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。
 22:20 主よ、あなただけは わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ 今すぐにわたしを助けてください。
 22:21 わたしの魂を剣から救い出し わたしの身を犬どもから救い出してください。
 22:22 獅子の口、雄牛の角からわたしを救い わたしに答えてください。
 22:23 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え 集会の中であなたを賛美します。
 22:24 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
 22:25 主は貧しい人の苦しみを 決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく 助けを求める叫びを聞いてくださいます。
 22:26 それゆえ、わたしは大いなる集会で あなたに賛美をささげ 神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
 22:27 貧しい人は食べて満ち足り 主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。
 22:28 地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。
 22:29 王権は主にあり、主は国々を治められます。
 22:30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく 主にひれ伏し 塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得
 22:31 -32子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げ知らせるでしょう。

 

ヘブル 10:16 「『それらの日の後、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。
 10:17 もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」
 10:18 罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。
 10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。
 10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。
 10:21 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、
 10:22 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
 10:23 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。
 10:24 互いに愛と善行に励むように心がけ、
 10:25 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。

 

 

 

 

本日は聖金曜日、主イエス様が十字架にかけられて死なれた日を記念する日である。

イエス様は神の子であられたのに、捕らえられ、はずかしめを受け、ついに十字架にはりつけにされて殺された。

何一つ罪を犯していないのに、全ての人を救うため、全ての人の罪を背負って、全ての人の身代わりとなって処刑されたのである。

そのお姿については、旧約聖書におけるイザヤ53章や詩篇22篇などに「苦難のしもべ」として預言されている。

イザヤ53章には、私たちの身代わりとなって苦しまれるしもべの姿が、そして、詩篇22篇には、神に見捨てられ、十字架にかけられて殺されるものの姿が描かれていると言えよう。

人々に見捨てられるだけでも辛いことなのに、最後の望みでもある神に見捨てられるとは、どれほど辛いお苦しみであったことであろう。

しかし、それゆえに、この救い主イエス・キリストを信じる者は、もはや決して神に見捨てられることはないのである。

イエス様が私たちの身代わりとなって神に見捨てられた者となって下さったから、その代わりに私たちが神に見捨てられることは無いのである。

なんとも申し訳なく、ありがたいことであるが、これが神のなさった身代わりによる御救いの業であり、聖書にはこの救いの恵みが神の約束として語られている。

あとは、この約束を信じるかどうか、私たちに託されているのはそれだけである。

信じるか信じないかは、人それぞれ自由であるが、これほどまでの大きな犠牲を支払ってまで私たちを救おうとされた神の愛を思うなら、信じないという選択はあまりにももったいないし、信じないということを選ぶ理由はないのではないだろうか。

イエス様の十字架のお苦しみが、この私のためであったことを覚え、今日、明日を過ごし、爽やかな気持ちで主の復活のイースターを迎えたいものである。