1コリント4:14 こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。
4:15 キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。
4:16 そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。
4:17 テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。
4:18 わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。
4:19 しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。
4:20 神の国は言葉ではなく力にあるのですから。
4:21 あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。
昨日から被按手教職者に参加するため、蒜山に来ている。
蒜山は、4人の子供らが小学生の頃を過ごした懐かしいところ。
昨夜、同世代の子供を持つ先生方と子育てのことを話したが、思春期を迎えた子供らと接するのは、以前とは違って、幾分、気を遣う。
安易に怒ったりしないよう心がけているし、できるだけ子供らの気持ちを尊重し、理解してあげようと思っている。
なぜなら、彼らもいろいろと判別がつくようになる年頃だし、親の言動の矛盾点などをついてくることもあるだろうから。
駄目な父親であろう。
けれど、彼らにとって、父親は私一人しかいない。
駄目親父でも、少しでも彼らの模範となれるようになりたい。
そういえば、昔、子育て真っ最中の頃にこんな言葉を聞いたことがある。
「子供は親の言う通りにはしないが、親のする通りにする」と。
良い意味でも、悪い意味でも親は子の模範なのである。
愛と柔和な心で接していきたいものである。