1コリント4:6 兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から、「書かれているもの以上に出ない」ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです。
4:7 あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。
4:8 あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。
4:9 考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。
4:10 わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。
4:11 今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、
4:12 苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、
4:13 ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。
昨年から、神学校の理事を任じられている。
神学校とは、将来、牧師や伝道者になるための人を教育するための学校である。
その特殊な目的のゆえに、学生数は少ない。
当然、経営は困難なものとなる。
これまで、経済的な問題をクリアしていくための様々な取り組みがなされてきたが、今の状況を維持していくためには、経済的な問題は、ますます厳しい状況になっていくだろう。
そこで、そもそも神学校とは何をすべき所なのか、一から考え直してみたい。
果たして、今のような学術的なレベルを高め、開かれた学び舎として進めていくべきなのか、それとも、もう少しコンパクトにして、一人一人の伝道者を育てていくのが良いのか、みんなで話し合って、意見をまとめていく必要がある。
そもそも、神学校は、教会のために働く人を育てる場所であって、牧師や伝道者の学歴や地位・名声などを保つためにあるのではない。
これから学ぼうとする人たちには、そこは、履き違えないで欲しいと思う。
教会にとって必要なのは、王様のような牧師ではない。
もちろん、死刑囚や見せ物のような扱いでも困るけれども、少なくとも、宣教のために仕えていく人材を育てていく場であることは、しっかりと覚えておきたいものである。