マタイ21:28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
21:32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
口では「いやです」と言いつつ、思いなおしてぶどう畑へ行った兄と、「承知しました」と言って、出かけなかった弟と、どちらが父親の望みどおりにしたかと言えば、当然、行動を伴ったほうである。
1ヨハネ3:18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
3:19 これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、
3:20 心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。
3:21 愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、
3:22 神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。
思いと行動が伴わない時がある。
心では願っていても、できない時、私たちは責められる気がする。
けれど、責められているのなら、まだ救いがある。
責めも感じられないほど、ほんとうに口先だけになった時が一番悪いのだろう。
兄も「考え直した」がゆえに、後から出かけていったのだ。
今すぐに行動できなくても、後になって、考え直して出かけていきたいと思えるなら、その心が大切であろう。
行動は後からついてくるものだから。