ヘブル1章5~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヘブル1:5 いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。
1:6 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。
1:7 また、天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、
1:8 一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。
1:9 あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」
1:10 また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。
1:11 これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。
1:12 あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」
1:13 神は、かつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。
1:14 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。

イエス・キリストが天使のような存在であるとか、天使長であるといった考えに反対する決定的な証言がここに記されている。
つまり、キリストは天使ではない。
もしキリストが天使のような存在であるとしたら、天使も被造物である以上、私たちの贖罪のために捧げられたいけにえの犠牲としてイエス様の贖いの代価は、かなり低下してしまうのだ。
なぜなら、神御自身は痛むことはないからである。
しかし、イエス様が真の神御自身であるからこそ、イエス様がかかられた十字架の贖いの御業に、高価な価値があるのであり、いけにえとして捧げられた贖いの代価としてのイエス様の尊さが、私たち救われた者の価値にもなるのである。
それほどに神は私たちを愛して下さっているということでもある。
もし、いけにえとして捧げられたイエス様が「被造物」であるなら、また創れば良いと言えなくもない。
けれど、主なる神様は、かけがえのない、一人子なるイエス様の命を捧げられたのである。
私たちは、そのようなお方の、これ以上ないほどの大きな愛で愛されていることを覚えたい。