ルカ20:41 イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
20:42 ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。
20:43 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで」と。』
20:44 このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
ユダヤの人々がメシアはダビデの子であると言っていることは、ダビデこそが最高の王、国家の指導者であり、支配者であり、そのような偉大な王の再来を期待したが故の呼称であると言える。
つまり、その背後には、強大な軍事力や経済力、国家としての力、尊厳など、あくまで、この世の地上的な繁栄を基準として考えていることの証であると言える。
昨日は、エレミヤ9章22~23節から、己の知恵や力、富などを基準とした人生を歩むのではなく、主を知ること、すなわち、主なる神様と共に歩む人生こそ真に幸いな人生であるということを学ばせていただいた。
9:22 主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。
9:23 むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。
私たちは、このみ言葉のように、主を知ることを誇る者となりたい。
そうすれば、地上の国家を確立するダビデこそが最高なのではなく十字架で死なれ、三日目によみがえられた主イエス・キリストこそが真のメシアであり、最高のお方であるということを知るようになるのだろう。