ダニエル11:21 代わって立つ者は卑しむべき者で、王としての名誉は与えられず、平穏な時期に現れ、甘言を用いて王権を取る。
11:22 洪水のような勢力も彼によって押し流され、打ち破られ、契約の君も破られる。
11:23 この王は、僅かの腹心と共に悪計を用いて多くの者と同盟を結び、勢力を増し、強大になって行く。
11:24 平穏な時期に彼は最も豊かな地方を侵略し、先祖のだれもしたことのないようなことを行い、戦利品や財宝を分配する。また、諸方の砦に対して計略を練るが、それは一時期のことである。
11:25 やがて彼は力と勇気を奮い起こし、南の王に対して大軍を整える。南の王も非常に強大な軍勢をもってこれと戦うが、計略にかかり、勝つことができない。
11:26 すなわち、南の王の禄を食む者ら自身が彼を打ち破る。その軍勢は押し流され、多くの者が傷つき倒れる。
11:27 これら二人の王は、互いに悪意を抱きながら一つの食卓を囲み、虚言を語り合う。しかし、何事も成功しない。まだ終わりの時ではないからである。
11:28 北の王は莫大な富を獲得して自国に引き揚げる。聖なる契約に逆らう思いを抱いて、ほしいままにふるまい、自国に帰る。
11:29 時が来て、彼は再び南に攻め入るが、これは最初でも最後でもない。
11:30 キティムの船隊が攻めるので、彼は力を失う。彼は再び聖なる契約に対し、怒りを燃やして行動し、また聖なる契/約を離れる者があることに気づく。
11:31 彼は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。
11:32 契約に逆らう者を甘言によって棄教させるが、自分の神を知る民は確固として行動する。
11:33 民の目覚めた人々は多くの者を導くが、ある期間、剣にかかり、火刑に処され、捕らわれ、略奪されて倒される。
11:34 こうして倒れるこの人々を助ける者は少なく、多くの者は彼らにくみするが、実は不誠実である。
11:35 これらの指導者の何人かが倒されるのは、終わりの時に備えて練り清められ、純白にされるためである。まだ時は来ていない。
11:36 あの王はほしいままにふるまい、いよいよ驕り高ぶって、どのような神よりも自分を高い者と考える。すべての神にまさる神に向かって恐るべきことを口にし、怒りの時が終わるまで栄え続ける。定められたことは実現されねばならないからである。
11:37 先祖の神々を無視し、女たちの慕う神をも、そして他のどのような神をも尊ばず、自分を何者にもまさって偉大であると思う。
11:38 代わりに、先祖の知らなかった神、すなわち砦の神をあがめ、金銀、宝石、宝物でこれを飾り立てる。
11:39 強固な砦の数々を異国の神に頼って攻め、気に入った者には栄誉を与えて多くの者を支配させ、封土を与える。
国を治める立場にある者は、少なからず、人々の信頼を寄せるような忠実さや威厳を備えていなければならない。
そうでなければ、国はもたないし、またその統治もおぼつかないものになってしまう。
ダニエル11章21節以下に記されている王は、そのような信頼に値するものではなく、卑しむべき者で、王に値するような者ではなかったようである。
その心は、短絡的に己の利益や快楽を求めるだけであったのだろう。
しかし、一時的にはそれらの目的を達成しても、長い目で見れば、そのような王に従うものはやがて一人もいなくなってしまい、当初は勝ち得ていた財宝や富なども、手に入れることはできなくなるはずである。
そのような者が、国を治める支配者ともなるならば、多くの民は不幸であるし、まさに、世の終わりとしか思えないかもしれない。
しかし主なる神は「まだ世の終わりではない」と仰せられる。
なぜなら、このような王の出現は、世の常だからではないだろうか。
つまり、この世が存続する限り、このような者はいつでも現れるからである。
現代のこの国に生きる多くの人たちが、彼らと同じような生き方をしているのではないだろうか。
長期的なビジョンもなく刹那的で、平気で戯言を語り契約を守らず、仲間を欺いては己の利欲のためだけに行動する。そして、心の中は強欲であふれかえっているのだ。
そのような者に祝福された未来などありえない。
しかし、そのような人々がいる一方で、そのせいで、練り清められる人たちがいるのもまた事実である。
この世は不条理で満ちているように思われる。
しかし、神の御言葉に信頼するならば、一見、このような横暴な人たちの振る舞いによって苦しめられていると思われる人々は、その実、神のご計画の中で練り清められ、み国に入れられる人々として導かれているということを覚えたい。
なぜなら、いくら豊かで贅沢な暮らしをしていても、その心が欺きや強欲で満たされているならば、そこに真の平安などないだろうし、恐れや不安でいっぱいだろうと思われるからである。
たとえ貧しくても、心穏やかで平安でいられるほうがどれほど幸いであろうか。
幸いな人生とはどういうものなのか、今一度御言葉に耳を傾け、見つめなおしていきたいものである。