詩篇99:1 主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。
99:2 主はシオンにおいて、大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。
99:3 国々の民よ。大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である。
99:4 王の力は、さばきを愛する。あなたは公正を堅く立てられた。あなたは、ヤコブの中で、さばきと正義を行なわれた。
99:5 われらの神、主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖である。
99:6 モーセとアロンは主の祭司の中に、サムエルは御名を呼ぶ者の中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた。
99:7 主は、雲の柱から、彼らに語られた。彼らは、主のさとしと、彼らに賜わったおきてとを守った。
99:8 われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。
99:9 われらの神、主をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。われらの神、主は聖である。
日本人は、何らかの分野において人より秀でた才能を発揮すると、神と呼ばれたり、あがめられたりすることがある。
しかし、果たしてその人は、本当に神なのだろうか。
表現を変えるなら、その人は、私にとってどんな幸いをもたらしてくれるのだろうか。
学問の神を拝めば、人は賢くなるのだろうか。
そんなことはありえないはずである、ということは、誰もが知っているはずである。
しかし、聖書の神は違う。
私たちのために、自らの命を投げ出し、救いの恵みを与えて下さるお方である。
それゆえに、この方は、いとも尊いお方、高きところに住まわれる主なる神である。
「あなたは、彼らにとって赦しの神であられた」
それゆえ
「われらの神、主をあがめ、その聖なる山に向かって、ひれ伏す」
のである。
「われらの神、主は聖である」ゆえに。