コヘレト6:7 人の労苦はすべて口のためだがそれでも食欲は満たされない。
6:8 賢者は愚者にまさる益を得ようか。人生の歩き方を知っていることが貧しい人に何かの益となろうか。
6:9 欲望が行きすぎるよりも目の前に見えているものが良い。これまた空しく、風を追うようなことだ。
6:10 これまでに存在したものはすべて、名前を与えられている。人間とは何ものなのかも知られている。自分より強いものを訴えることはできない。
6:11 言葉が多ければ空しさも増すものだ。人間にとって、それが何になろう。
6:12 短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない。
政治家の汚職疑惑や、航空会社の破綻など、お金に関するニュースが連日のように取りざたされている。
仮に不正を行っていなかったにしろ、巨額のお金が動いていた事は確かなことであろう。
それほどの大金が本当に必要なのだろうか。
一方、経営破たんした航空会社の株が紙切れ同然になりかけようとしているにも関わらず、短期の利益を上げようとする人たちが盛んに株の売買を繰り返していると聞く。
果たして、そこまでする必要があるのだろうかと思いたくなる。
もちろん、生きていくためには、富や財産、お金の類は必要であり、有益なものであろう。
しかし、その数字を増やす事だけにエネルギーの大半を費やしているような人生は、本当に幸せな人生であるといえるのだろうか。
傍から見ていても、空しい人生にしか見えてこない。
本人がそれでいいなら、それでいいのかもしれない。
しかし、そのような国に、どんな喜ばしい未来があるのだろうか。
今一度、人が生きると言う事、幸いな人生とはどのようなものであるのか、考え直していく姿勢が問われているのではないかと思う。