コヘレト6:1 太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのをわたしは見た。
6:2 ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかったので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なことだ。
6:3 人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず死んで葬儀もしてもらえなかったなら流産の子の方が好運だとわたしは言おう。
6:4 その子は空しく生まれ、闇の中に去りその名は闇に隠される。
6:5 太陽の光を見ることも知ることもない。しかし、その子の方が安らかだ。
どれだけ多くの富や財産を手に入れても、それを享受することができず、他の誰かの手に渡ってしまうのならば、それは不幸なことだと語られている。
せっかく苦労して蓄えた富が、やすやすと他人の手に渡ってしまうとしたら、確かに空しいことであろう。
一方で、多くの富や財産を自分の手元に蓄えていても、それで満足することのできない人もいる。
いずれにしても、結局のところ、人はどれだけの富や財産を持っていても、それをもって楽しんだり、満足するということができないのかもしれない。
仮に、百人もの子宝に恵まれ、長寿を全うしたとしても、満足するということを知らずして召されたとしたなら、なんとその人の人生の空しいことかと述べられている。
要するに、我々人間には、満足するということがなかなかできないのだろう。
いつでも不足、不満を述べる。満たされない気持ちばかりが私たちの心を支配しているのだろう。
マタイ福音書19章には、富める青年が「永遠の命を得るためには、何をしたら良いか」とイエス様に尋ねた時のことが記されている。
彼に対し、イエス様は「あなたの持ち物を売り払って、貧しい者たちに与えなさい」とお語りになった。
全てのものを所有していたはずの青年に欠けていたのは、惜しみなく与える心、愛の心であった。
2コリント9:8 神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
9:9 「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。
9:10 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
9:11 あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。
ピリピ4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
私たちは、主イエス様にあって、すべてのものを所有しているのと同じ。
そこから満ち足りることを覚えたいものである。