コヘレト5章12~19節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

コヘレト5:12 太陽の下に、大きな不幸があるのを見た。富の管理が悪くて持ち主が損をしている。
5:13 下手に使ってその富を失い息子が生まれても、彼の手には何もない。
5:14 人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。
5:15 これまた、大いに不幸なことだ。来た時と同じように、行かざるをえない。風を追って労苦して、何になろうか。
5:16 その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない。
5:17 見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。
5:18 神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。
5:19 彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。

自分の働きを通して、何らかの形ある功績を残すことができるなら、どんなに素晴らしいだろうと思う。
しかし、功績はおろか、富を蓄えることすらままならない。
人を育てることもできていない。
それどころか、すでに蓄えられている富を食いつぶしているだけなのではないか。
全ての面で、蓄積できているどころか、自分自身が養ってもらっているのが現状のように思えてくる。
しかし、そのことに気がつくことは、幸いなことなのかもしれない。
何か、自分の力により頼み、自分自身の力だけで生きているかのように驕り高ぶることをやめ、結局のところ、人はみな、主なる神様の恵みの中で養われているのだということに目が開かれるとき、その歩みは幸いなものとなり、祝福されたものとなるのではないかと思う。
もちろん、仕事は自分なりに精一杯努めているつもりではある。
その上で、主なる神様の恵みに養われていることの感謝の心を常に忘れることなく覚える者でありたい。