2ペトロ3:14 だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
3:15 また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。それは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。
3:16 彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。
3:17 それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。
3:18 わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。
9節の箇所には、主の日が遅れているのは、一人でも悔い改めて救われる人が起こされるようにと、意図的になされていることであると語られている。
そういう意味で、忍耐して待ち望むということは、そこに愛の心に習う行為であり、長い目で隣人に対して愛の心を持って臨む事も大切なことであると思う。
しかし、なかなか目に見える形での成果が現れないと、どうしても人はくじけてしまう。
だからこそ、パウロやペトロは、主が忍耐深く、愛と憐れみの心で人が救われる事を願っていらっしゃる事を説き、私たちもそれに従うように勧めているのだろう。
愛のない者である。
そして、忍耐のできない者である。
しかし、隣人に対して、愛と忍耐を持って接する事ができるために、まず、主が私を愛と忍耐をもってお救い下さったことを覚えたいものである。
全てはそこから始まるのだから。