エレミヤ3:19 わたしは思っていた。「子らの中でも、お前には何をしようか。お前に望ましい土地あらゆる国の中で最も麗しい地を継がせよう」と。そして、思った。「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい」と。
3:20 だが、妻が夫を欺くようにイスラエルの家よ、お前はわたしを欺いたと主は言われる。
3:21 裸の山々に声が聞こえるイスラエルの子らの嘆き訴える声が。彼らはその道を曲げ主なる神を忘れたからだ。
3:22 「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。
3:23 まことに、どの丘の祭りも山々での騒ぎも偽りにすぎません。まことに、我々の主なる神にイスラエルの救いがあるのです。
3:24 我々の若いときから恥ずべきバアルが食い尽くしてきました先祖たちが労して得たものをその羊、牛、息子、娘らを。
3:25 我々は恥の中に横たわり辱めに覆われています。我々は主なる神に罪を犯しました。我々も、先祖も若いときから今日に至るまで主なる神の御声に聞き従いませんでした。」
主なる神様は、誰よりもイスラエルを愛し、祝福してきました。
それにも関わらず、いすらえるの民は、背信を続けてきたのです。
普通なら、もう二度と祝福されることなどありえないはずなのに、主なる神様の愛と祝福は変わることなくイスラエルに注がれ続けるのです。
「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」
とても印象的な言葉です。
背信の罪を赦すだけでなく、それによって傷つき、生きる希望を見失っているであろうイスラエルを「いやす」というのです。
神様を裏切り、神様を失望させているのは、私たちの方であると言うのに、主なる神様は、私たちを救い、癒してくださるのです。
私たちが本当に必要としているのは、このような言葉なのかもしれません。
しかし、そこに、背信さえも赦すために捧げられた主イエス様の尊い十字架の贖いがあることを覚えなければなりません。
しかしだからこそ、そこに救いがあり、真の癒しああることを覚えたいものです。