エレミヤ3:13 ただ、お前の犯した罪を認めよ。お前は、お前の主なる神に背きどこにでも茂る木があれば、その下で他国の男たちと乱れた行いをしわたしの声に聞き従わなかった/主は言われる。
3:14 背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。わたしこそあなたたちの主である。一つの町から一人、一つの氏族から二人ではあるが、わたしはあなたたちを連れてシオンに行こう。
3:15 わたしはあなたたちに、心にかなう牧者たちを与える。彼らは賢く、巧みに導く。
3:16 あなたたちがこの地で大いに増えるとき、その日には、と主は言われる。人々はもはや、主の契約の箱について語らず、心に浮かべることも、思い起こすこともない。求めることも、作ることももはやない。
3:17 その時、エルサレムは主の王座と呼ばれ、諸国の民は皆、そこに向かい、主の御名のもとにエルサレムに集まる。彼らは再び、かたくなで悪い心に従って歩むことをしない。
3:18 その日、ユダの家はイスラエルの家と合流し、わたしがあなたたちの先祖の所有とした国へ、北の国から共に帰って来る。
エレミヤを通して語られたイスラエルの回復の預言の言葉には、幾つかの慰めが含まれている。
それは、必ず救われる人が起こされるということ、そして、その数は必ずしも多くないかもしれないが、町々、氏族ごとに、まんべんなく導かれるというものである。
限られたごく一部の人間だけにしか得られないのなら、そこに希望を見出すのは難しいかもしれないが、必ずこの町にも救われる人がいるのだ。
使徒18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
クリスチャン人口の少ない町に暮らしていると、このままどんどん教会が小さくなっていってしまうのではないかと思うときもある。
しかし、この町にも救われる魂はいる。
それが神様の語られた約束なのだ。
現状を見て落胆していないで、神の御言葉に信頼して希望を持って歩めるように。