アモス3:9 アシュドドの城郭に向かってエジプトの地にある城郭に向かって告げよ。サマリアの山に集まりそこに起こっている狂乱と圧政を見よ。
3:10 彼らは正しくふるまうことを知らないと主は言われる。彼らは不法と乱暴を城郭に積み重ねている。
3:11 それゆえ、主なる神はこう言われる。敵がこの地を囲みお前の砦を倒し、城郭を略奪する。
3:12 主はこう言われる。羊飼いが獅子の口から二本の後足あるいは片耳を取り戻すようにイスラエルの人々も取り戻される。今はサマリアにいて豪奢な寝台やダマスコ風の長いすに身を横たえていても。
3:13 万軍の神、主なる神は言われる。聞け、ヤコブの家に警告せよ。
3:14 わたしがイスラエルの罪を罰する日にベテルの祭壇に罰を下す。祭壇の角は切られて地に落ちる。
3:15 わたしは冬の家と夏の家を打ち壊す。象牙の家は滅び、大邸宅も消えうせると主は言われる。
主なる神様のイスラエルの民に対する熱情は、すさまじいものがある。
「羊飼いが獅子の口から二本の後足あるいは片耳を取り戻すようにイスラエルの人々も取り戻される。」と表現されている事態を考えてみて、既に獅子に口にくわえられ、取り戻しても生きては返れない状態であり、方耳だけでも取り返したところで、羊の命は戻ってこないのだ。
それでも羊飼いは自分の羊を取り戻そうと必死に獅子と相対する。
私たちも、既に獅子に加えられて、死んだも同然のものなのかもしれない。
そして、取り返されたとして、見るに無残な姿をさらけ出しているのかもしれない。
しかし、主なる神様は、それでも私たちを神のもとに立ち返らせようとなさる。
たとえ格好が悪くても、死んだも同然のようなものでも、神の御手のもとにあることが幸い。
私の行いや働きが、いかに死んだも同然のようなものでも、今、神の御手にあることが幸いであるということを覚えていたいものである。