アモス3章~8節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

アモス3:1 イスラエルの人々よ主がお前たちに告げられた言葉を聞け。――わたしがエジプトの地から導き上った全部族に対して――
3:2 地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちをすべての罪のゆえに罰する。
3:3 打ち合わせもしないのに二人の者が共に行くだろうか。
3:4 獲物もないのに獅子が森の中でほえるだろうか。獲物を捕らえもせずに若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。
3:5 餌が仕掛けられてもいないのに鳥が地上に降りて来るだろうか。獲物もかからないのに罠が地面から跳ね上がるだろうか。
3:6 町で角笛が吹き鳴らされたなら人々はおののかないだろうか。町に災いが起こったならそれは主がなされたことではないか。
3:7 まことに、主なる神はその定められたことを僕なる預言者に示さずには何事もなされない。
3:8 獅子がほえる誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる誰が預言せずにいられようか。

主のなさる御業、ことに裁きの事柄に関しては、主は、必ずそれをあらかじめ告げ知らせる。
それは、この民を苦しめたいからではない。
できれば、そうならないようにと願い、万一、悔い改めるようなことでもあれば、
即刻、その裁きをやめ、祝福をお与えになりたいからなのである。
そう考えるとき、あらかじめ告げ知らせておくということは、とても愛に満ちた態度であるとも言えるのではないだろうか。
人は、何の前触れもまく、突然ひどくしかられたりすると、なぜそんな扱いをされなければならないのかわからないし、それに、急だと、どうしても、衝撃が大きすぎて、内容を理解することに時間がかかってしまう。
しかし、あらかじめ、してはならないことや、すべきことなどが知らされているならば、なぜそのようなしかられ方をしているのか理解することもできよう。
神の御心についても同じ。
主なる神様は、私たちに、御心に適う歩みをして欲しいのであって、そのために、あらかじめ御心を告げられるという仕方で接してくださる。
それが時に、ある種の厳しさを感じさせることもあるかもしれないが、目的と意図を注目しておくことが大切なのだ。

神は民を祝福したい。
だから、御言葉を語られる。

その心を理解しつつ、私も聖書の御言葉を取り次ぐ働きに携わらせて頂きたいと願う。