使徒11:16 そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。
11:17 こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」
11:18 この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
異邦人たちが主イエス様を信じ、彼らもユダヤ人クリスチャンたちと同様に聖霊を受け、異言を語り始めたことは、ユダヤ人クリスチャンたちにとって、大きな驚きであったようです。
なぜなら、ユダヤ人たちは、自分たちこそが神に選ばれ、神の聖なる律法を授かった民であると考えていたからです。
しかし、そのようなユダヤの民の選びの出来事も、もともとは神の一方的な選びによるもので、民の選びは、常に神の側の一方的なものであり、神の主体的な働きであるということを覚える時、異邦人たちが主イエス様を信じるようになっていったことは、何の不思議もないはずなのです。
今の時代でも、私たちクリスチャンは、たまたま神様によって、まだ信じていない人たちに福音を宣べ伝えるようにと召された、言わば「先に救われた者」に過ぎず、後から救われる者と、神の御前では、何ら変わりはないのです。
むしろ、御言葉には
マタイ20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
とも記されており、必ずしも、先に救われた者が天の御国において先んずる者とはならないということが語られているのです。
もちろん、後の者が必ず先になるというわけでもありません。
全ては、主の御手のうちにあるということでしょう。
ただ、少なくとも、今私たちは救われている、そして、まだ救われていない人たちがいるという事実は、そのまま受け止めなければならず、先に救われた者の責任として、主を証していかなければなりません。
しかし、それは光栄な務めであるといえます。
感謝して、宣教の務めに携わらせていただきたいものです。