使徒10章34~43節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

使徒10:34 そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。
10:35 どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。
10:36 神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、
10:37 あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。
10:38 つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。
10:39 わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、
10:40 神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。
10:41 しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。
10:42 そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。
10:43 また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」

ペテロは、コルネリウスの家族らが神を畏れ敬い、信じ、そして、彼らの上にも天使の知らせがあったことを聞き、自分に告げられた異邦人への宣教という召しを確信するのです。
「これは、神のご計画であり、全ての民に宣べ伝えなければならないこと。」
なぜなら、この福音の知らせは、神の御子キリストが御自分の命を投げ出して十字架で死なれ、よみがえられたことによって与えられる、まさに「恵み」の福音であるからこそ、全世界に宣べ伝えられなければならないのです。

マタイ28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

イエス様の大宣教命令には、どこの国であるとか、どの民族であるとか、そのような限定された言葉は用いられず、まさに、すべての人に宣べ伝えよということが語られています。
おそらく、ペテロたちも、この言葉の本当の意味を、コルネリウスとであったときに悟ったのでしょう。

私たちは、今、極めてクリスチャン人口の少ない国、日本で生活し、日本の人たちのための宣教を託されているといえます。
しかし、一方で、どの国の民にも、わけ隔てなく宣べ伝えていかなければなりません。
かつて、日本に宣教した国々も、世俗化の波が押し寄せ、逆に宣教を必要としている国もあります。
どの国か、どの民俗か、自分のうちに限定してしまうのではなく、同じ人間、等しく救われなければならない魂がいることを覚え、世界宣教のために祈りを続けていかなければならないということを覚えたいものです。