使徒10章9~33節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

使徒10:9 翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。
10:10 彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、
10:11 天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。
10:12 その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。
10:13 そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。
10:14 しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」
10:15 すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
10:16 こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。

かつて、主なる神様は、イスラエルの民に律法を与え、頑ななまでに、他民族との交流や、食や生活のあらゆる事柄に関する厳しい戒めを課せられた。
その理由は何かというと、一つには、罪の自覚という問題もあるだろうが、それ以外では、やはり、偶像礼拝の影響を一切排除しようとする趣旨があったのではないかと思われる。
そのように戒めることによって、イスラエルの民は、数世紀に及ぶ長い歴史の中で、純粋な信仰を守り通すことができたのかもしれない。
しかし、時は満ち、今や、彼らの役目は変わり、今まで民族の中だけで保たれてきた神の契約の言葉を、全世界に宣べ伝える時が来たのである。
その大きな変化の中で、ペテロら当時の弟子たちには、大きな戸惑いもあったことであろう。
しかし、それは、今の時代の私たちにも言えること。
神の福音の言葉を聞いた時、変化の時が訪れているのだ。
今までの生活のスタイルを見直し、(悔い)改め、主のもとに立ち返る時が来ている。
そういう観点から、今日の御言葉を読み直して見ると、まさに、神様の招きの言葉のように聞こえてくる。

今日、私も誰かを招き、共に神の御言葉に聞く、そのような時を持ちたいものである。