エレミヤ31章31~34節、ローマ8章19~28節、ヨハネ8章31~36節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ローマ3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。
3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

本日は、宗教改革記念日です。
マルティンルターが聖書の御言葉を通して、真の神の救いは、律法の行いによって達成されるのではなく、イエス・キリストの贖いによってのみ完成させられることを確認し、信仰による義を再発見したことを記念するものと言えます。
このことは、当時の貧しい人たちや学のない農民たちにとって、どれだけ大きな福音となったことでしょう。
今まで富も力もないがために虐げられてきた人たちが、金持ちや力のある者たちと同様、神の御前に立ち、救いに与る資格を平等に持つことができるのです。
そして、救いに与るチャンスが誰にでも等しく平等に開かれているということは、同時に、この福音は、全ての人に宣べ伝えられなければならないものであるということでしょう。
なぜなら、神の恵みは、安易な恵みではなく、高価で尊い恵みだからです。
キリストの福音による救いという開かれた恵みであると同時に、全ての人に宣べ伝えられなければならない「宣教の言葉である」という特質を覚えたいものです。