士師記1:22 ヨセフの一族も同様にベテルに上った。主は彼らと共におられた。
1:23 ヨセフの一族はベテルに探りを入れた。この町はかつてルズと呼ばれていた。
1:24 見張っていた者が、町から出て来る人を見かけ、「どうすれば町に入れるか教えてください。あなたには憐れみをかけるから」と言った。
1:25 その人が町の入り口を教えてくれたので、彼らは町を剣で討ったが、その人とその家族は皆逃がしてやった。
1:26 その人はヘト人の地に行って町を築き、それをルズと名付けた。この町の名は今日に至るまでそう呼ばれている。
1:27 マナセは、ベト・シェアンとその周辺の村落、タナクとその周辺の村落、ドルの住民とその周辺の村落、イブレアムの住民とその周辺の村落、メギドの住民とその周辺の村落を占領しなかった。そのためカナン人はこれらの地に住み続けた。
1:28 イスラエルも、強くなってから、カナン人を強制労働に服させたが、徹底的に追い出すことはしなかった。
1:29 エフライムは、ゲゼルに住むカナン人を追い出さなかったので、カナン人はその中にとどまり、ゲゼルに住み続けた。
1:30 ゼブルンは、キトロンの住民と、ナハラルの住民を追い出さなかったので、カナン人はその中にとどまり、強制労働に服した。
1:31 アシェルは、アコの住民、シドンの住民、マハレブ、アクジブ、ヘルバ、アフィク、レホブを占領しなかった。
1:32 アシェルはこれらの地の住民であるカナン人を追い出さず、彼らの中に住み続けた。
1:33 ナフタリは、ベト・シェメシュの住民、ベト・アナトの住民を追い出さず、その地の住民であるカナン人の中に住み続けた。ベト・シェメシュの住民とベト・アナトの住民は、強制労働に服した。
1:34 アモリ人はダンの人々を山地に追い込み、平野に下りて来ることを許さなかった。
1:35 アモリ人はヘレス山、アヤロン、シャアルビムに住み続けたが、ヨセフ一族が力を増すに及んで、ついに強制労働に服した。
1:36 アモリ人の領土は、アクラビムの坂にあるセラから更に上にあった。
イスラエルの人たちがカナンに入植した時、彼らはそこに住んでいた先住民たちとの衝突を避け、先住民たちを徹底的に滅ぼすことをせず、妥協的に共に生きる道を選択していきます。
しかし、結果的に、これらの妥協が、イスラエルの中に多くの異教的な習慣や偶像礼拝を招き入れることになってしまいます。
イスラエルの苦難の歴史は、このような偶像との戦いでもあったと言えるでしょう。
日本で生活する私たちも、多くの異教的習慣の中にどっぷりと漬かってしまっていると言えるでしょう。あるいは、気付かないまま異教の神々を礼拝する行為をしてしまっていることもあるかもしれません。
もちろん、このような環境の中で、妥協を許さず、徹底して唯一の神を礼拝し続けていくことは大変難しいことかもしれませんが、そう言い訳をしている時点で、すでに妥協が始まっていることを覚えなければなりません。
出エジプト20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
唯一の主なる神のみを礼拝するということは、異教社会の中で、難しいことかもしれませんが、この方が私を創り、私を救い、私を生かしてくださるお方であるということを常に意識し、覚え、歩むことができるようにしたいものです。