士師記1:12 カレブは、「キルヤト・セフェルを撃ち破って占領した者には、娘アクサを妻として与える」と約束した。
1:13 カレブの弟ケナズの子オトニエルがそこを占領したので、カレブは彼に娘アクサを妻として与えた。
1:14 アクサが嫁いで来ると、オトニエルは父に願って耕地をもらうように彼女を促した。彼女がろばの背から降りると、カレブは、「どうしたのか」と言った。
1:15 彼女は言った。「お祝いをいただきたいのです。わたしにネゲブの地をくださったのですから、水溜めも添えてください。」カレブは上と下の溜池を娘に与えた。
1:16 モーセのしゅうと、あのケニの人々は、ユダの人々と共になつめやしの町からユダの荒れ野、アラド近辺のネゲブに上って来て、そこの民と共に住んだ。
1:17 ユダは兄弟シメオンと行を共にしてツェファトに住むカナン人を打ち、滅ぼし尽くして、その町の名をホルマ(絶滅)と呼んだ。
1:18 ユダはガザとその領土、アシュケロンとその領土、エクロンとその領土をも占領した。
1:19 主がユダと共におられたので、ユダは山地を獲得した。だが、平野の住民は鉄の戦車を持っていたので、これを追い出すことはできなかった。
1:20 モーセが告げたとおり、ヘブロンはカレブに与えられ、カレブはそこからアナクの三人の子を追い出した。
1:21 エルサレムに住むエブス人については、ベニヤミンの人々が追い出さなかったので、エブス人はベニヤミンの人々と共に今日までエルサレムに住み続けている。
士師記は、ある意味イスラエルの混乱の時代の記録であると言える。神が約束されたカナンの地へ入植し、幸いな時代がやってきたはずであるにも関わらず、以前にも増して、民の霊的な混乱の状態は続いていったようである。
混乱の続いた一つの大きな理由は、絶対的なリーダー不在という事実であったのではなかろうか。
士師記には、数々の裁き司たちの名が記録されているが、それほど、小粒なリーダーたちであったということであるかもしれない。
しかし、偉大なリーダーであれ、小粒なリーダーであれ、神の御言葉に従って行動する生き方に違いがあるわけではない。
むしろ、どんなに歴史的な偉業を成し遂げなかったとしても、神の御言葉に純粋に従って生きているならば、そのような人物こそ、最も偉大なリーダーと言えるのではないだろうか。
逆に、どんなに名をはせた偉大な人物であっても、神の御言葉に背き、己の都合や利得に従って妥協していくならば、それは偉大なリーダーとは言えない。
神の御心がどこにあり、どのように御言葉に従っていくのか、それはとても大切なことである。