士師記1:1 ヨシュアの死後、イスラエルの人々は主に問うて言った。「わたしたちのうち、誰が最初に上って行って、カナン人を攻撃すべきでしょうか。」
1:2 主は、「ユダが上れ。見よ、わたしはその地をユダの手に渡す」と言われた。
士師記には、かつてイスラエルの民が神が与えられると約束されたカナンの地へ入植した時の様々な困難が綴られている書物であると言えます。
1章1節には、イスラエルの民が、かつてモーセやヨシュアらがリーダーとして立てられたことを取り上げ、これからも民を導いてくれる力強いリーダーを立ててくださるように主に訴えています。
主なる神様は、ユダを新たなリーダーとして立てられているのですが、この時の神様の言葉に注目するとき、民と神との認識に、多少ズレも見られるのではないかと思うのです。
というのも、主なる神雅は、確かにカナンの土地を与えると仰せられたのですが、それは、第一義的な目的であり、それを成し遂げるためにリーダーを立て、イスラエルにその地をお渡しになるということなのですが、民の思いは、とにかくカナンの先住民との戦いが真っ先に頭に思い浮かんだのでしょう、誰が最初に上っていって、カナン人を攻撃すべきでしょうかというう風に訴えているのです。
イスラエルの民にとって、カナンに侵攻するのに、先住民との戦いは避けられないことのように思えたことでしょう。そして、いつの間にか、戦うことが最重要課題となっていたのかもしれません。
しかし、神様の御思いは、先住民と戦うことを最重要課題として取り上げているのではありません。それよりも、民に安住の地を与えることが最も重要な事柄だったのです。
私たちも時々、神様が私たちに何を与えようと願っておられるのかということを身勝手に解釈し、必要以上に「たいへんだ、たいへんだ」と大騒ぎをしてしまうものです。
しかし、しっかりと御言葉に聞き、神様が何を仰せられているのか、正確に、そして、全てを委ねつつ、聞き従うものでありたいものです。