ヨブ19:23 どうかわたしの言葉が書き留められるように碑文として刻まれるように。
19:24 たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記されいつまでも残るように。
19:25 わたしは知っているわたしを贖う方は生きておられついには塵の上に立たれるであろう。
19:26 この皮膚が損なわれようともこの身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう。
19:27 このわたしが仰ぎ見るほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。
もはやヨブにとって、神の存在は、彼を悩ます友人たちと同等で、自分を苦しめるだけの敵のような存在として語られている。
しかし、そのようなヨブが、自分を助け出してくれる方、贖ってくれる方が必ず生きていると訴えている。
つまり、彼の中では、神と救い主(もしくは贖い主)とは、まったく別々の方として捉えられているということである。
しかし、神はお一人である。
徹底して義なるお方であり、徹底して愛なるお方である。
それ故に、神自ら、私たちの身代わりとなって十字架で死なれ、贖って下さったのである。
神の義と愛のあるところ。それが、イエス・キリストの十字架。