ヨブ18:1 シュア人ビルダドは答えた。
18:2 いつまで言葉の罠の掛け合いをしているのか。まず理解せよ、それから話し合おうではないか。
18:3 なぜ、わたしたちを獣のように見なすのか。その目に愚か者とするのか。
18:4 怒りによって自らを引き裂く者よ あなたのために地が見捨てられ 岩がその場所から移されるだろうか。
ヨブを慰めようとしていた友人たちの言葉は、ヨブに罪を認めさせ、悔い改めさせることによって、救い出されるというものであり、そのようなヨブを諭そうとする言葉は、ヨブにとっては単なる裁きの言葉でしかなく、かえってヨブを苦しめるだけのものとなっていました。
そうしたやり取りが続く中、ついにビルダドはヨブを裁くような言葉を吐き出してしまいます。
しかし、彼自身も言葉の罠の掛け合いをしている者であるという自覚は持っていないようです。誰も、自分は正しい、自分だけは正しいと思うもので、他の二人とヨブの問答を指して「言葉の罠の掛け合い」と評しているのでしょう。
誰も、自分のことは見えているようで、何も見えていないものです。
そして、他人を裁く言葉によって、自分を裁いてしまうものです。
ローマ2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
2:2 神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
2:3 このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
あの人は罪を犯していると思う、その同じ罪を私も犯している。
だから主イエス様の贖いが必要なのです。