ヨブ6:9 神よ、どうかわたしを打ち砕き御手を下し、滅ぼしてください。
6:10 仮借ない苦痛の中でもだえてもなお、わたしの慰めとなるのは聖なる方の仰せを覆わなかったということです。
6:11 わたしはなお待たなければならないのか。そのためにどんな力があるというのか。なお忍耐しなければならないのか。そうすればどんな終りが待っているのか。
6:12 わたしに岩のような力があるというのか。このからだが青銅のようだというのか。
6:13 いや、わたしにはもはや助けとなるものはない。力も奪い去られてしまった。
6:14 絶望している者にこそ友は忠実であるべきだ。さもないと全能者への畏敬を失わせることになる。
6:15 わたしの兄弟は流れのようにわたしを欺く。流れが去った後の川床のように。
どんな苦難の中に置かれても、決して神を呪おうとはしなかったヨブですが、度重なる災いと、一向に解決の糸口すら見出せない絶望的な状況の中、ついに、その思いをつぶやいてしまい、友人たちの批判をあびることになります。
その結果、ヨブの中に、怒りにも似た感情が芽生えてきたようです。
何気ない言葉によって傷つき、激しく感情的になることは誰にでもあるものです。
しかし、それは何故かということを考えるとき、私たちの思いが、常に愛によって支配されていないからなのでしょう。
友達を裁く心、批判する心、批判されて逆上する心。
ヨブは、ただでさえ苦しい状況の中、ますます自分の嫌な感情に支配されていく姿を嫌悪していたことでしょう。
ローマ7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
私はなんと惨めな人間でしょうか。
しかし、この惨めな私を救って下さるのが、主イエス・キリストなのです。