ルカ8:16 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
8:17 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。
8:18 だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
今週の教会学校の暗唱聖句。
1テモテ2:4 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
子供たちに「神様はすべての人が救われることを願っていらっしゃるんだよ」と意味を説明しながら、さて、真理という言葉はどのように説明したらいいかなあと考えてしまいましが、その「すべての人に救われて欲しい」という神様の願いこそが真理なのだと教えてあげました。
私たちクリスチャンは、この真理を聖書の御言葉を通して知ったものです。
ですが、果たして、その真理を全ての人に知らせているかどうか。
真理とは、いかに隠し通そうとしても、隠しきれるようなものではありません。
偽りの信仰なら、やがてメッキもはげ、地金が露出してしまうもの。
しかし、本物の信仰に生きる者なら、露出している輝きは、中身も同じ。
どうせ表されていくものならば、隠す必要などなにもないのです。
先週の結婚式の帰りの電車の中で、大声で賛美歌を歌っていた子供たちの姿こそ、本物の信仰者の輝きなのだなあと思わされます。