サウロの回心 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

使徒9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、
9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
9:3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
9:5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
9:8 サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
9:9 サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
9:10 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。
9:11 すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。
9:12 アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
9:13 しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。
9:14 ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」
9:15 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
9:16 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
9:17 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
9:18 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、
9:19 食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、
9:20 すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。
9:21 これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」
9:22 しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。

ダマスコへ向かう途中、神様の啓示を受けたサウロ。
彼はその後、3日間、目が見えず、飲み食いすることができなかったと記されています。
しかし、同じく神の啓示を受けたアナニヤの祈りにより、彼は、目からうろこのようなものが落ち、はっきり目が見えるようになったというのです。
おそらく、サウロには、今まで見えていた光景とは何ら変わらない世界であるにも関わらず、今までとは全く違って見えたことでしょう。
まさに、180度の転換、イエス・キリストを救い主と信じる者を迫害する者から、このイエスをキリストとあがめ、異邦人に宣べ伝える伝道者へと変えられていったのですから、奇跡と言うほかありません。
私たちも、主イエスを信じ救われるということは、価値観の転換だけに留まらず、物の見方から捉え方、行動に至るまで、全てが変えられていくことであります。
目に見えている世界は、今までと何ら変わらないのに、違って「見える」のです。
このような転換を経験したサウロは、以降、異邦人への使徒ということで、ローマ風の名前に変わり、パウロと名乗るようになります。
名前を変えるということも大きな転換であるといえます。
カトリック教会では、クリスチャンネームというものがありますが、このような習慣は、パウロの回心に由来しているのかもしれません。
しかし、あくまでパウロという表現も、サウロという名前のローマ風に読み替えたものであり、そう大きく異なるものでなありません。
名前はあくまで名前。
それよりも、私は私のままで変わることなく、しかし、今までとは違った物の見方、生き方をしていくことが大切なのだろうと思います。