申命記16:21 あなたは、あなたの神、主の祭壇を築いて、そのそばに、アシェラ像をはじめいかなる木の柱も据えてはならない。
16:22 また、あなたの神、主が憎まれる石柱を立ててはならない。
17:1 いかなる欠陥であれ傷のある牛や羊を、あなたの神、主にいけにえとしてささげてはならない。それは、あなたの神、主のいとわれることである。
17:2 あなたの神、主が与えられるどこかの町で、あなたの中に、男にせよ女にせよ、あなたの神、主が悪と見なされることを行って、契約を破り、
17:3 他の神々に仕え、その神々や太陽、月、天の万象などわたしが命じたことのないものにひれ伏す者がいるならば、
17:4 その知らせを受け、それを聞いたときには、よく調べなさい。もし、それが確かな事実であり、イスラエルの中でこうした、いとうべきことが行われたのであれば、
17:5 この悪事を行った当の男ないし女を町の門に引き出し、その男ないし女を石で打ちなさい。彼らは死なねばならない。
17:6 死刑に処せられるには、二人ないし三人の証言を必要とする。一人の証人の証言で死刑に処せられてはならない。
17:7 死刑の執行に当たっては、まず証人が手を下し、次に民が全員手を下す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。
主なる神様は、徹底して、ご自分以外のものを神として礼拝することのないように戒めています。
人間が勝手に作り出した神々、そして、神様が創られた被造物、さらには、神様に対して捧げられるいけにえについても、それが欠陥のあるものや傷のあるものである場合、神様に対して捧げられるべきものを人間が盗んでいることに値し、人間が自分自身を神とする行為に他ならないのです。
いずれも、神を恐れ敬う心を持った人間がふるまう行為には違いないのでしょうが、そこにある一番の問題は、自己中心であり、自分勝手な態度で神を礼拝しようとしていることなのでしょう。
このような態度は、私たちも気をつけなければならないものです。
口では神を恐れ敬っていると言いながら、その態度、行為、あるいは結果がそれとはかけ離れたものであるならば、それは死ななければならないのです。
いえ、そうであるからこそ、主イエス様が私の変わりに十字架で処刑されたのです。
私のうちにあるよこしまな思い、不遜な態度、一切のことを神様の御前にあぶり出し、真実の赦しを頂きたいと思います。