申命記17章8~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記17:8 あなたの町で、流血、もめ事、傷害などの訴えを裁くのが極めて難しいならば、直ちにあなたの神、主が選ばれる場所に上り、
17:9 レビ人である祭司およびその時、任に就いている裁判人のもとに行って尋ねなさい。彼らが判決を告げるであろう。
17:10 あなたは、彼らが主の選ばれる場所から告げる判決に従い、彼らの指示するとおりに忠実に実行しなければならない。
17:11 あなたは彼らの示す指示と下す判決に従い、彼らが告げる言葉に背いて、右にも左にもそれてはならない。
17:12 あなたの神、主に仕えてそこに立つ祭司あるいは裁判人を無視して、勝手にふるまう者があれば、その者を死刑に処し、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。
17:13 民は皆、これを聞くと、恐れを抱き、もはや勝手にふるまうことはないであろう。

16章18~20節の箇所で、それぞれの町に裁判人や役人を置き、いわゆる「地方自治」のような仕組みが取り入れられたということについて、11日の記事で触れているが、今回は、言わば、最高裁判所のような存在についてと言えるでしょう。
興味深い記述は、このような裁判に従わず、勝手にふるまう者は、死刑に処すべきであると語られていて、これを聞けば、彼らは皆、恐れを抱き、もはや勝手にはふるまわなくなるだろうと語られていることです。

現代では、世界的に死刑制度を廃止すべきという風潮が一般的になりつつあります。しかし、日本では、犯罪がますます凶悪化する傾向にあり、時代に逆行するかのように、死刑を廃止すべきではないという考えの方が増えつつあるように思われます。
しかし、死刑制度を採用している日本の国で凶悪な犯罪が増えているという事実に目を留めるなら、死刑制度が犯罪を抑止しているかどうかということについては疑問が残ります。それよりも、罪人の身代わりとなって十字架の上で死刑に処されたイエス様のことを伝え、真の赦しと神の深い愛を説いていくことのほうが、よっぽど犯罪の抑止につながるのではないかと私は思うのですが…。