ルカ19:45 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、
19:46 彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
19:47 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、
19:48 どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。
はじめて神戸にある聖書学院(併設の教会)を尋ねた時、その掲示板の横に
『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
との御言葉が彫られたボードが掲げられていたのを見つけ、やはり、聖書学院というのは、すごいところだと思ったものです。
そして、数年後に自分もその聖書学院に入学し、毎日行われる礼拝と聖書の授業、そして、祈祷会など、それはそれはとても充実した日々を過ごすことができました。
卒業後は、なかなかそういう「聖書づけ」のような生活を送ることは難しいのかもしれませんが、それでも、あの頃の経験は、今の自分に大きな影響を与えていることは確かであると思います。
聖書には「教会は『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』」とは言っていないのです。まず、自分の住む家、家庭、そして、神の家族の交わりである教会、それらすべてを含む、私の日々の人生が「家」であることを覚えつつ、日々、祈りの生活が送れるようにしていきたいものです。
ちなみに、昨日は、その聖書学院の卒業式でした。
ことし卒業された学生たちも、きっと、そんな「祈りの家」を続けていくことでしょう。そのために私も祈ります。
主よ、私たち一人一人が主の住まわれる聖なる宮となり、祈りの家となりますように、弱い私たちを強め、導いてくださいますように。