イザヤ66章1~2節、ヨハネ7章16~18節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ66:1 主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこにわたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。
66:2 これらはすべて、わたしの手が造りこれらはすべて、それゆえに存在すると主は言われる。わたしが顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人わたしの言葉におののく人。

先日、教会学校で
2テモテ1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
という暗証聖句を覚えた子どもたち。
忘れた頃になってから、ふと「慎みってどういう意味?」と尋ねてきました。
「それはねぇ・・・」
子どもに「慎み」という言葉の意味を説明するのは、案外難しいものです。
ママ「幼稚園でお行儀よくするようにって言われるでしょう?ああいう感じかな?」
パパ「自分勝手なことばかり言って、でしゃばらないことかもね」
と応えましたが、後になって
「でも一番大切なことは、神様の御言葉に従うことだよ。」って教えてあげればよかったなあと思いました。

ヨハネ7:16 イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。
7:17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。
7:18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。

神の御前に慎み深く生きて行きたいものですね。