申命記14章1~2節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記14:1 あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならない。
14:2 あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面のすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた。

聖書において「死」という出来事は、必ずしも、悲しいこと、不幸なこと、終わり、別れといったことだけを示すものではなく、そこに、新たな世界への旅立ち、新しい命の始まりという驚くべき約束を伴うものとして語られている場合がある。
もちろん、愛する家族を見送ることは悲しい現実であるし、もはや、地上ではお会いすることはできないことには変わりないのであるが、永遠の別れではないというところに希望がある。
死者のために哀悼の意を表すことは悪いことではない。しかし、なぜ、自らの肉体を傷つけるのか。それによって、死者の痛みや苦しみを味わうことができるとでもいうのだろうか。
死の苦しみは、本当に死を味わうこと以外、知ることはできない。
そして、その苦しみを本当に味わってくださった方がいる。

ヘブル2:14 ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、
2:15 死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
2:16 確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。
2:17 それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。

私たちのために、自ら身代わりとなって死を味わわれた主イエス様こそ、私たちの救いの主、希望の星なのである。