申命記:20 将来、あなたの子が、「我々の神、主が命じられたこれらの定めと掟と法は何のためですか」と尋ねるときには、
6:21 あなたの子にこう答えなさい。「我々はエジプトでファラオの奴隷であったが、主は力ある御手をもって我々をエジプトから導き出された。
6:22 主は我々の目の前で、エジプトとファラオとその宮廷全体に対して大きな恐ろしいしるしと奇跡を行い、
6:23 我々をそこから導き出し、我々の先祖に誓われたこの土地に導き入れ、それを我々に与えられた。
6:24 主は我々にこれらの掟をすべて行うように命じ、我々の神、主を畏れるようにし、今日あるように、常に幸いに生きるようにしてくださった。
6:25 我々が命じられたとおり、我々の神、主の御前で、この戒めをすべて忠実に行うよう注意するならば、我々は報いを受ける。」
信仰の継承。
親が子どもに信仰を伝えていくこと、これはいつの時代にも大切な事柄であり、同時に、難しい問題も抱えています。
なぜなら、子どもは、親が経験したことを経験することはできず、子ども自身が新たな経験をしていかなければならないからです。
しかし、だからと言って、親が経験したことを子どもに全く話して聞かせてあげないのは問題です。むしろ、親が経験し、感謝であったこと、嬉しかったこと、救われた喜び、これらの経験は、「今の現実」として語るべき言葉であり、それが証と言われることなのでしょう。
「昔はああだった」とか言われても、その当時を知らない人にとっては、気持ちを共有することは難しいですが、「今、こう思う」ということは、今を生きる者同士、分かち合うことのできる喜びなのではないかと思います。
聖書に記された出来事も、今のリアルな現実として、まるでそこにいて体験するかのように読めたらいいなあと思います。