マラキ1章1~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マラキ1:1 託宣。マラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉。
1:2 わたしはあなたたちを愛してきたと 主は言われる。しかし、あなたたちは言う どのように愛を示してくださったのか、と。

ここに記された表現を見ると、主なる神様と人間との間に、認識のズレが生じているということが表されていると言えます。
つまり、人間が神に愛されていると感じるのは、人間の願いを神がかなえてくださった時であり、それ以外のものは「愛」ではないという類のものであると言えるでしょう。
幾つかの注解書を見ると、マラキ書が書かれた時代は、長く続いた補囚から解放され、国家の独立に向けて、期待が大きく膨らんでいた時代。エルサレムの神殿も再建され、これからは、生活も楽になるにちがいないと誰もが思っていたのかもしれません。しかし現実にはそう甘くは無く、生活は厳しく、神殿に捧げられる捧げ物や律法の戒めなどが民に負担となって重くのしかかるようになっていたのでしょう。
祭司たちも、民の不満の矛先を神に向けるように指導していたのかもしれません。
つぶやき、不平、不満、憤り、そういった思惑に対し、主なる神様は、マラキを遣わして、悔い改めを迫る言葉を語りかけられたのでしょう。

神はいつでも恵みと憐れみに満ちておられるお方。
しかし、私たち人間の都合で、神は何もしてくれないとか、神は非情であるとか言ってつぶやいてしまう現実があります。しかし、実に、それこそが、私たちの罪の現実であり、そのために、神の御子イエス・キリストが救い主としてこの世にお生まれ下さったことを思います。
まず、私たちの罪を認めること。その先に、イエス・キリストのご生涯によって現された、神の本当の愛を知ることができるのです。