1テモテ4章1~5節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1テモテ4:1 しかし、“霊”は次のように明確に告げておられます。終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。
4:2 このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。彼らは自分の良心に焼き印を押されており、
4:3 結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。
4:4 というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。
4:5 神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。

4章には、3章16節で語られている「信心の秘められた真理」とは対照的に、”霊”が明確に告げられることとして、終わりの時の背教が起こるであろうことが記されています。
そして、背教が起こることの理由は、明らかに悪魔の誘惑によるものであるということも述べられています。
イエス・キリストによって成し遂げられた救いの出来事は「秘められた真理」であるにもかかわらず、悪魔の誘惑は、御霊がはっきりと語られることであるということ、それは、一方で、私たちの信仰に対する不安をもたらすような表現のようにも思えるのですが、他方、自分の信仰が本物であるのかどうか自信を持てない人に対しては、「真理は秘められたところにあるものだから」という励ましを受け、もしかして、「自分は惑わされているのではないだろうか」と考え込んでしまう者に対しては、悪魔の誘惑は「はっきりしたもの」だから心配することはないということを教えてくれるのではないかと思うのです。
大切なことは、イエス様を真の救い主として信じ、御言葉に聞き従おうとしているかどうか、聖書を読み、祈りの生活を続けることを喜びとしているかどうかというところにあり、目に見えない領域についてまで、必要以上に心配しないことと思います。
パウロは、食べ物について触れていますが、この世界は神さまの創られたもの。
感謝して受けるとき、何一つ捨てるものはないと語られているように、これは食べても良いのだろうかとか、これは触れてはいけないのだろうかなどと、あまり深刻に悩まず、私がイエス様を信じる上で、これは不要だと思えば触れない、これに触れてもイエス様から離れることはないと思えば、安心して触れても良いのではないかと思います。
そうでなければ、私たちは、この世界から出て行かなければなりませんから。

1コリント5:9 わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、
5:10 その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。
5:11 わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。
5:12 外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。
5:13 外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」

信仰者の集まりである教会が、神に召された者としてふさわしい聖なる者たちの集まりとなりますように。