1テモテ4:6 これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。
4:7 俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。
4:8 体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。
4:9 この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
4:10 わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。
4:11 これらのことを命じ、教えなさい。
4:12 あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。
4:13 わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
4:14 あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。
4:15 これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。
4:16 自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。
神の家である教会の奉仕者および指導者たる者は、世間一般の基準とは異なり、ある意味、独特の価値観のもとに選ばれた者が担っている、と言えるでしょう。
それは、聖書の御言葉をそのまま真実と受け止め、信じてこれに従い、語ることができるかどうか。
聖書の言葉は偽りだとか、語っても無駄だと思うような者では、この務めに服することはできないのです。
いのちのことば社から出版された「北欧の敬虔主義」という本に、次のような文章が記されていました。
敬虔主義の時代のクリスチャンたちは、人を社会的な地位や肩書きによって判断しませんでした。彼らは、メッセージが本当に福音的であり、霊的であるかどうかを問題にしました。語る人が農夫であろうと教授であろうと気にもとめませんでした。私たちは、経験主義から「恵みの賜物」について学ばなければなりません。もちろん、私たちは、霊的な賜物と力を与えられた人が語るべきであることを知っています。真の「恵みの賜物」は「すべてのことを適切に秩序をもって」用いられなければなりません(2コリント14:39)。
私たちも、御言葉を語る者として召されたことの意味を思いつつ、ひたすら「主が語られたことを」「主のために」、そして、語られた御言葉を聞いた方が救われるように願いつつ、自分自身と教えとに気を配りながら、御言葉の奉仕に携わらせていただきたいと願うものです。