詩篇80篇 | 聖書日課 デボーションノート

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聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇80:8 万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:9 あなたはぶどうの木をエジプトから移し 多くの民を追い出して、これを植えられました。
80:10 そのために場所を整え、根付かせ この木は地に広がりました。
80:11 その陰は山々を覆い 枝は神々しい杉をも覆いました。
80:12 あなたは大枝を海にまで 若枝を大河にまで届かせられました。
80:13 なぜ、あなたはその石垣を破られたのですか。通りかかる人は皆、摘み取って行きます。
80:14 森の猪がこれを荒らし 野の獣が食い荒らしています。
80:15 万軍の神よ、立ち帰ってください。天から目を注いで御覧ください。このぶどうの木を顧みてください
80:16 あなたが右の御手で植えられた株を 御自分のために強くされた子を。
80:17 それを切り、火に焼く者らは 御前に咎めを受けて滅ぼされますように。
80:18 御手があなたの右に立つ人の上にあり 御自分のために強められた 人の子の上にありますように。
80:19 わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。
80:20 万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。

この詩では、荒廃したイスラエルの復興を求めて祈る様子が、ぶどうの木の整備にたとえて描かれています。
主なる神様にの手によって植え付けられたぶどうの木(イスラエル)は、その枝を大きく伸ばし、ソロモンの時代には栄華を極めるのですが、やがて民の信仰的な退廃によって、国は荒廃していきます。そして、それに対する神様の裁きは、国自体を滅ぼすことにまで発展していくのです。
ここで、思い出したいのが、主イエス様も同じようなことを仰せられているということです。

ヨハネ15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
15:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

実を結ばない枝は、切り取って焼かれてしまうという表現は、一見、とても厳しい裁きの言葉のようにも思えます。しかし、「ぶどうの木が健康でいられるため」
「実を結ばせるため」には必要な措置であり、当然、行われなければならないことなのです。
詩篇の作者は、主なる神様は、いつまでこのまま放って置かれるのでしょうかと、速やかな神様の裁きを求めて祈っていますが、それは、主の時、しかも、ぶどうの実を結ばせるために、もっとも効果的な時期に、神様が枝の手入れをなさるお方であるということを知っていたからなのでしょう。

主よ、私のうちに、実を結ばせるのに障害となっている不要な枝がありましたら、あなたが一番良いと思われる時にこれを取り除いてくださいますように。そして、いつもあなたに結びついて、あなたの豊かな実を結ぶことができますように。