エジプト脱出 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

日時:2006年10月29日
聖書箇所:出エジプト11~12章

イスラエルの民をエジプトの奴隷から解放するために神様に遣わされたモーセは、エジプトの王パロのもとで、杖をへびに変え、ナイル川のや池などを血の海に変え、カエルの大群を招き、地のちりをぶよに変え、あぶの大群を招きます。さらに、エジプト人たちの家畜に疫病を起し、かまどのすすを撒き散らすと、人と獣に腫物を生じさせ、エジプトの地に雹と雷を送られました。そして、いなごの大群を送り、エジプト全土の草木を食い荒らし、最後にエジプト全土を覆う闇がもたらされます。
これでも心をかたくなにし、イスラエルを去らせようとしないパロに対して、ついに神様は、エジプト人全ての初子を打つという裁きを行われます。
この際、主なる神様は、イスラエルの民に対しては、一家族ごとに一歳の子羊を用意させ、これをほふって、門に、その血を塗るよう命じ、その門に塗られた羊の血を見て、その家は、災いが過ぎ越していくということが語られます。
そして、イスラエルの後々の子孫に至るまで、この時の出来事を語り継いでいくように、過ぎ越しの祭りとして祝うように命じられるのです。
モーセから神の言葉を聞いたイスラエルは、その通りに行い、果たして、神様がおおせられた通りに、初子が殺されるという災いを過ぎ越し、エジプトから脱出することになるのです。

この過ぎ越しの際、いけにえとしてほふられた子羊は、後に、私たちを救うために十字架で死なれた主イエス・キリストを表しています。
つまり、イエス様のいけにえの血により、私たちは全ての災いを過ぎ越すことができるという、神の救いの御業を体験するのです。

ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

しかし、このことは神を信じる者しか受け取ることの出来ない救いの約束であり、神を信じようとしない者は、災いを過ぎ越すことができないのです。

ヘブル11:23 信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。
11:24 信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、
11:25 はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、
11:26 キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。
11:27 信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。
11:28 信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。

イスラエルの人たちも、何でこんなことをするのだろう、と思ったかもしれません。しかし彼らは「主なる神様がそう仰せられたのだから」「主なる神様のお言葉ですから」との信仰のもとに、神様の語られた約束に信頼し、御言葉に従うことで、約束通り、神様からの祝福を受けることができたのです。

黙示録22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。

今の時代、私たちは聖書の御言葉に聞き、これを守ることで神様からの祝福を受けることができます。
それは、まさに、かつてイスラエルの民が全ての災いから逃れ、エジプトの奴隷から解放されたように、罪と死と悪魔の支配から解放され、命と救いの祝福を受けることができるのです。
もちろんそれも信仰によって受け止めることですが、何と幸いな約束でしょうか。
神ご自身がこの祝福のために、ご自分の命をいけにえの犠牲としてお捧げ下さったのですから。
ハレルヤ!