ガラテヤ6章11~18節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ6:11 このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。
6:12 肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。
6:13 割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。
6:14 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。

かつて、誰よりも律法を遵守し、原理主義者でもあったパウロ。
そのパウロが「このとおり、わたしは今こんなに大きい字で、自分の手であなたがたに書いています。」と記すほどに、あのパウロがすっかり生まれ変わって、今や、キリストの十字架によってのみ救われるのだという福音を宣べ伝える者とせられたという事を強調していると言えるでしょう。

ユダヤ社会の慣習のみならず、どこの国の、どこの地域、コミュニティにいても、そこで重んじられている慣習に習って生きていくことは、「肉において人からよく思われたい」という欲求との戦いです。
しかし、パウロは、それが、結局は、見栄であったり、自己満足であったり、本質的に、自分の救いとは何ら関係のない事柄であるということを見抜いていたのでしょう。

ガラテヤ6:15 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
6:16 このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。