ガラテヤ6章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
6:3 実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。
6:4 各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。
6:5 めいめいが、自分の重荷を担うべきです。
6:6 御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。
6:7 思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
6:9 たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。
6:10 ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。

先日、ある方が「人生の途中において失敗してしまった人たちを放って置かないで、むしろ、そういう人たちを支援し、相談に乗ってあげるべきではないか」と話しておられました。
もっともなことです。
とかくこの世は、一度失敗をした人には冷たくなりがち。もう二度と、チャンスは与えられないかのように捉えられがちです。
しかし、主なる神様は、もし一度過ちを犯した人がいたとしても、その人を裁いて終わりではなく、立ち直ることができるように教え諭し、導いてあげるよう勧めていて、そのような歩みこそ「キリストの律法を全うすること」であると記されています。
なぜなら、イエス・キリスト様こそ、罪深い過ちを犯した私たちをお見捨てにならず、ご自分の命を持って助け出そうとしてくださったお方であり、このお方のお心に習う生き方が求められているということなのでしょう。

マタイ7:1 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
7:2 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

ルカ6:37 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。

ローマ2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。

ローマ14:9 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
14:10 それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。

ヨハネ3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。