エレミヤ39章1~18節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ39:6 リブラでバビロンの王は、ゼデキヤの目の前でその王子たちを殺した。バビロンの王はユダの貴族たちもすべて殺した。
39:7 その上で、バビロンの王はゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。
39:8 カルデア人は、王宮と民家に火を放って焼き払い、エルサレムの城壁を取り壊した。
39:9 民のうち都に残っていたほかの者、投降した者、その他の生き残った民は、バビロンの親衛隊の長ネブザルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた。
39:10 その日、無産の貧しい民の一部は、親衛隊の長ネブザルアダンによってユダの土地に残され、ぶどう畑と耕地を与えられた。
39:11 バビロンの王ネブカドレツァルはエレミヤに関して、親衛隊の長ネブザルアダンに命令を下した。
39:12 「彼を連れ出し、よく世話をするように。いかなる害も加えてはならない。彼が求めることは、何でもかなえてやるように。」

ついに、バビロンの軍がエルサレムに侵攻し、ゼデキヤをはじめ、ユダの国の指導者たちは、みな、バビロンの王の手によって殺されてしまいました。
しかし、その一方で、今まで憂き目にあっていた貧しい者たちには、命の保証とともに、ぶどう畑や耕地までもが与えられ、バビロンの王によってもたらされた公正な裁きに注目することができます。
そして、その中で、最大限の敬意が払われているのが、預言者エレミヤに対する処遇であると言えるでしょう。というのも、エレミヤに対しては、一般の民衆に保証した命や土地を与える約束というものとは異なり、「彼が語る事は、何でもかなえてあげるように」という風に、言わば、完全な自由とともに、指導者としての働きをも求められるほどの扱いを受けているとも言えるのです。
おそらく、エレミヤが預言者であるということを考慮して、「彼を通して語られる言葉は、全て神からの託宣であるから、心して聞くように」といった尊敬の念を抱いていたからなのでしょう。

「この人の語る事は、全てその通りに従うように」

このような扱いを受けるということは、その人が語る事は、全て神からの言葉であり、その人は、神から遣わされたお方であるという信仰の現われであると言えるでしょう。

ヨハネ2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。

イエス様が真の神であられると信じるということは、イエス様がお語りになられた全ての御言葉に従うということなのです。