エレミヤ37章1~21節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ37:6 このとき、主の言葉が預言者エレミヤに臨んだ。
37:7 「イスラエルの神なる主はこう言われる。わたしの言葉を求めて、お前たちを遣わしたユダの王にこう言うがよい。お前たちを救援しようと出動したファラオの軍隊は、自分の国エジプトへ帰って行く。
37:8 カルデア軍が再び来て、この都を攻撃し、占領し火を放つ。
37:9 主はこう言われる。カルデア軍は必ず我々のもとから立ち去ると言って、自分を欺いてはならない。カルデア軍は決して立ち去らない。
37:10 たとえ、お前たちが戦いを交えているカルデアの全軍を撃ち破り、負傷兵だけが残ったとしても、彼らはそれぞれの天幕から立ち上がって、この都に火を放つ。」

ユダの王ゼデキヤは、ユダの国がエジプトの援軍の助けによってバビロンの脅威から守られるであろうことを預言してもらうことを期待して、預言者エレミヤのもとに使者を遣わし、神の御言葉を頂こうとしました。
しかし、エレミヤは、彼のそのような態度が、神の御心を真摯に尋ねようとするものではなく、あらかじめ自分の願いが決まっていて、それを神の御心として預言者に語らせようとするものであり、「自分を欺いてはならない」と言って非難しているのです。
「自分を欺いている」ということは、ゼデキヤ自身も、バビロンの脅威の前に、なす術もない現状の中、それでも尚、強引に自分の願いを優先させようとしていたことはわかっていたはず。
偽りの平安を思い描いては、頑なに、その偽りにしがみつこうとしていたということなのでしょう。

今の時代に生きる私たちにとっても、このようなことは、しばしば見られるものではないでしょうか。
偽りの平和、偽りの幸い、あまりにも稚拙な夢物語に心を奪われてしまい、それ以外には幸いはないと思い込むことで、自分を偽りの人生に追いやり、頑なに真実を受け入れようとしない、そんな憐れな生き方を続けている人が多いのではないかと思うのです。
もちろん、現実的過ぎて、何の夢も希望もないというのも寂しい人生ですが、少なくとも、私は、偽りに生きることなく、現実を直視し、それでいて、今の現実に対して、真の解決を与えてくれる聖書の御言葉に信頼し、神様の賜る真の平安を頂いて歩み続けて行きたいと願います。