エレミヤ31章1~40節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ31:23 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしが彼らの繁栄を回復するとき、ユダとその町々で人々は、再びこの言葉を言うであろう。「正義の住まうところ、聖所の山よ 主があなたを祝福されるように。」

エレミヤ書31章には、神に対して背反の罪を犯し、裁きを受けようとしていたイスラエルに対し、やがて必ず回復の時が来るであろうというメッセージが語られています。
それは、かつて祝福されていた時代のイスラエルのように、人々は生活には潤いがあり、子孫も繁栄するなど、恵まれた状態が約束されており、しかも、以前にも増して幸いな状態になるであろうことが語られているように思えます。

エレミヤ31:10 諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした方は彼を集め 羊飼いが群れを守るように彼を守られる。」
31:11 主はヤコブを解き放ち 彼にまさって強い者の手から贖われる。
31:12 彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て 主の恵みに向かって流れをなして来る。彼らは穀物、酒、オリーブ油 羊、牛を受け その魂は潤う園のようになり 再び衰えることはない。
31:13 そのとき、おとめは喜び祝って踊り 若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え 彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。
31:14 祭司の命を髄をもって潤し わたしの民を良い物で飽かせると 主は言われる。

つまり、主なる神様は、イスラエルの民に対し、単なる「回復(元通りの状態に戻す)」ではなく、前よりも祝福された状態に置いて下さることを約束しておられるのであり、それが本当の意味での「回復」であり「祝福」のメッセージであるということを思うのです。

エレミヤ31:31 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。
31:32 この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
31:33 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
31:34 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。

かつて、エジプトから解放された時に結んだ契約、それは「戒めを守るならば祝福しよう」という、条件を伴ったものでありましたが、今、神様がイスラエルの民と結ぼうとしている契約には、もはや、なんら条件はなく、神様の一方的な憐れみと赦しの上に成り立つ真の幸いな約束であり、民どうしが「これを守れ」と命じることなくとも、一人一人の心のうちに記された御言葉により、慰めと平安を頂くことができる、これが本当の「祝福」のメッセージであると言えるのです。
もちろん、このことは、神の一方的な憐れみの故に、神の御子イエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちの一切の罪を赦して頂いたことを示しています。
つまり、イエス様の尊い血による贖いによって罪赦された私たちは、もはや、回復ではなく、真の祝福に与らせて頂いているということなのでしょう。

2コリント5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。
5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
5:16 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。
5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

キリストにあって新しくされた者であることを感謝いたします。