エレミヤ30:18 主はこう言われる。見よ、わたしはヤコブの天幕の繁栄を回復し その住む所を憐れむ。都は廃虚の丘の上に建てられ 城郭はあるべき姿に再建される。
30:19 そこから感謝の歌と 楽を奏する者の音が聞こえる。わたしが彼らを増やす。数が減ることはない。わたしが彼らに栄光を与え、侮られることはない。
30:20 ヤコブの子らは、昔のようになり その集いは、わたしの前に固く立てられる。彼らを苦しめるものにわたしは報いる。
30:21 ひとりの指導者が彼らの間から 治める者が彼らの中から出る。わたしが彼を近づけるので 彼はわたしのもとに来る。彼のほか、誰が命をかけて わたしに近づくであろうか、と主は言われる。
30:22 こうして、あなたたちはわたしの民となり わたしはあなたたちの神となる。
先日、イスラエルを旅行された方が、遺跡の発掘現場などを見学して来たときの様子をお話ししてくださいましたが、イスラエルでは、かつての古い町並みの上に、新しい時代の町々が建てられていることが多く、町の下を掘り進めて行けば行くほど、古い時代の遺跡が積み重なって発掘されるのだそうです。
町の歴史には、そこに暮らした人々の歴史があります。
泣き、笑い、苦難に耐え、感謝の賛美を捧げる。
町が栄えては滅び、滅んでは再建し、再建してはまた滅び、そんなことが何度も繰り返されてきたということなのでしょう。
人が神を裏切り、裁きを受けて滅ぼされ、しかし、その度ごとに、神様の憐れみによって町が再建され、人の歩みも営まれてきたということなのでしょう。
人は何度も何度も同じ過ちを繰り返します。そして、一度は反省しても、また同じ過ちを繰り返すのです。
普通の人間なら、もうとっくに見切りをつけて、こんな愚かな者を赦してあげようとは思われないのではと思うのですが、主なる神様は、人類に対し「神のもとに立ち返って欲しい、それがあなたの唯一の生きる道なのだから」と、あきらめることなく、私たちを赦しのもとに導いてくださるのです。
その真実な赦しの証が、イエス様の十字架の贖い。
もう、二度と赦してはもらえないのかもしれない・・・という不安を一切断ち切って下さるほどの確かな救いの約束があることを思い、主のみもとに立ちり、「わたしはあなたの民、あなたこそ私の神です」と答えられる幸いを感謝したいものです。