エレミヤ20:7 主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ 人が皆、わたしを嘲ります。
20:8 わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり 「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中 恥とそしりを受けねばなりません。
不信の罪と不正の悪に満ちた時代に生きた預言者エレミヤは、同朋の民に対する自分の思いとは裏腹に、常に裁きのメッセージを語り告がなければなりませんでした。
厳しい事を言わなければならない務めというのは、辛い仕事です。
しかし、このようなエレミヤの悲痛な祈りの言葉を聞いていると、それはまさに、主イエス様の嘆きの祈りでもあることが伺えるのではないでしょうか。
イエス様も、民の犯した罪の故に、その罪に対する裁きを憂い、嘆きの祈りをお捧げになられたお方であるとも言えるでしょう。
そして、エレミヤが真実の預言を語る預言者故に迫害を受けたように、主イエス様も迫害を受け、ついには、十字架に貼り付けにされて殺されてしまうのです。
イエス様のお苦しみ、しかし、それは、他ならぬ、この私の身代わりとなって裁きをお受けになられたお姿であり、それ故に、もはや私たちへの裁きはすっかり取り除かれ、神の赦しのもとに置いていただいている幸いを覚え、主イエス様の御受難 を感謝して覚えたいものです。