エレミヤ14:10 主はこの民についてこう言われる。「彼らはさまようことを好み、足を慎もうとしない。」主は彼らを喜ばれず、今や、その罪に御心を留め、咎を罰せられる。
14:11 主はわたしに言われた。「この民のために祈り、幸いを求めてはならない。
14:12 彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。彼らが焼き尽くす献げ物や穀物の献げ物をささげても、わたしは喜ばない。わたしは剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす。」
14:13 わたしは言った。「わが主なる神よ、預言者たちは彼らに向かって言っています。『お前たちは剣を見ることはなく、飢饉がお前たちに臨むこともない。わたしは確かな平和を、このところでお前たちに与える』と。」
14:14 主はわたしに言われた。「預言者たちは、わたしの名において偽りの預言をしている。わたしは彼らを遣わしてはいない。彼らを任命したことも、彼らに言葉を託したこともない。彼らは偽りの幻、むなしい呪術、欺く心によってお前たちに預言しているのだ。」
14:15 それゆえ、主は預言者についてこう言われる。「彼らはわたしの名によって預言しているが、わたしは彼らを遣わしてはいない。彼らは剣も飢饉もこの国に臨むことはないと言っているが、これらの預言者自身が剣と飢饉によって滅びる。
14:16 彼らが預言を聞かせている民は、飢饉と剣に遭い、葬る者もなくエルサレムの巷に投げ捨てられる、彼らも、その妻、息子、娘もすべて。こうして、わたしは彼らの悪を、彼ら自身の上に注ぐ。」
いつの時代にも、耳障りの良い言葉を語る者は、人々から歓迎されるものです。
しかし、いくら歓迎されるからといって、よこしまな思いにかられた言動や、人々のご機嫌取りだけをねらったような言葉ばかりを語り続けていくなら、やがて、彼らの言葉によって国は滅ぼされていくことでしょう。
選挙前の政治家の言葉などの、そういう類のものが多いかもしれません。
しかし、語る側の責任ばかりでなく、聞く側の責任も重大ではないかと思うのです。耳障りの良い言葉を語る者ばかりを歓迎し、真実を語る者、特に、悔い改めの言葉を語る者を拒絶しようとする時、そこにあるのは、やはり、滅びへと続く道でしかないのではないでしょうか。
神様が真実な預言者たちを立てて、悔い改めの言葉を語りかけるのは、私たちの真実な幸いを願ってのこと。
真実な預言者の御言葉に耳を傾け、受け入れていくことができますように。