エレミヤ13章1~27節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ13:8 主の言葉がわたしに臨んだ。
13:9 主はこう言われる。「このように、わたしはユダの傲慢とエルサレムの甚だしい傲慢を砕く。
13:10 この悪い民はわたしの言葉に聞き従うことを拒み、かたくなな心のままにふるまっている。また、彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、それにひれ伏している。彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。
13:11 人が帯を腰にしっかり着けるように、わたしはイスラエルのすべての家とユダのすべての家をわたしの身にしっかりと着け、わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。しかし、彼らは聞き従わなかった」と主は言われる。

主なる神様がお選びになられたイスラエルの民、それは、常に神の身近にあり、神の栄光を現していくために用いられる器であったはずでした。
しかし、彼らは、神様のごく身近に置かれていながら、主なる神様に聞こうとせず、「我らこそ、選ばれた者」との思いあがりの心が、彼らの判断を狂わせ、次第に神様から離れていくようになったのでしょう。
思いあがることは、たいへん危険な行為です。
なぜなら、真の神様を差し置いて、自分自身が神のように振舞っていくからです。
このことは、主イエス様を信じている者も常に気をつけなければならない事柄であると言えるでしょう。私たちは、すぐに神様を忘れ、自分勝手に、自分の都合の良い方法で物事を考え、行動していくとき、そこには神様の存在が置き去りにされてしまっていることが多いからなのです。
帯は、帯としての役割を果たすとき、初めて、有益なものとなるものです。
仮に、帯が主人をさしおいて、われこそ主と思いあがるなら、なんと愚かなことであろうと思います。神様を忘れるとは、そういうことなのでしょう。

エレミヤ13:15 聞け、耳を傾けよ、高ぶってはならない。主が語られる。

主がなんと仰せられるか、静かに耳を傾け、語られる御言葉に素直に従っていくものでありたいです。