マルコ14章1~9 節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マルコ14:3 イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
14:4 そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。
14:5 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
14:6 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
14:7 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
14:8 この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
14:9 はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

イエス様に香油を塗った女性の記事は、他の聖書の箇所を比較しながら読んでみると、ルカ7章37節に出てくる「罪深い女性」という説と、あるいは、ヨハネ12章におけるラザロの姉妹マリアであるという説が考えられます。
しかし、一般には、ルカ7章に出てくるマグダラのマリアではないかとされていて、イエス様に多くの罪を赦していただいたことに対する感謝を表そうとしていたことには間違いないと思われます。
彼女のこの「香油を注ぎかける」という行為は、通常、死者を葬る際に行われていた埋葬の儀式であったため、今、目の前に生きておられるイエス様に注ぎかけるということは、異例のことであったと言えるでしょう。
しかし、彼女は、そうせずにはいられなかったのです。

旧約聖書の歴史を紐解いていくと、「油を注ぐ」という行為は、その方が、神に召された者であるということを示すものであり、「王」「預言者」「祭司」という特別な職務に任命される時に行われていた儀式でもあります。
つまり、イエス様が、この「油注ぎ」を受けられたということは、このお方こそがまことの王であり、預言者であり、祭司でもあるということを示すものであると言えます。そして、この「油注がれた者」とは、ヘブル語で「メシア」、ギリシャ語で「キリスト」となり、イエス様がまことの救い主であられるということを指し示す貴重な証言であると言うことができるのです。
そして、イエス様が「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」 とお語りになられたとおり、この女性が油イエス様に油を注いだことが語られるたびに、イエス様が私の主、私のキリストであるということが覚えられるのです。
私もイエス様に罪を赦していただいた、罪深い男であり、私たちの代表として、イエス様に油を注いだ女性の姿を見ている者なのです。