マルコ14章10~21節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マルコ14:10 十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。
14:11 彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。

12弟子の一人、イスカリオテのユダは、祭司たちのところへ行って、イエス様を引き渡す約束をします。マタイ26章15節には、報酬として、銀貨30枚をユダが手にしたと記されています。つまり、ユダは、イエス様より、お金のほうが大切であり、価値のあるものと思っていたということなのです。
そして、ユダは、どうすれば折よくイエス様を引き渡すことができるだろうか、考えあぐねていました。そして、彼は、イエス様の一向が一番無防備な時間帯、すなわち、真夜中の、しかも、イエス様が祈りに集中している時に捕らえようと、オリーブ山で祈っておられたイエス様のところへ、兵士たちを引き連れて現われたのです。

「お金こそが全てである」そして「祈りなど何の力があるものか」といった考えは、現代の多くの人たちが共通して持っている考え方なのかもしれません。
しかし、そのような考えこそ、イエス様を裏切ったユダの考えであり、神の国から遠くかけ離れた思いであるということを思わされます。
お金というものは、役に立ちそうで、命に関わる重大な局面においては、意外にも役に立たないもの。一方、祈りとは、何の力もないように見えて、実は、全てに優る神の御業が行われる手段であるということを思う時、無駄なこと、無力なことではない「祈り」の時を大切にしたいと思う者です。

わたしの小さな手は、何もできないけれど、
この手を組んで祈る時、神の御手が動く。
応えは必ずやってくる、神の時が来れば。
私があなたを助けると主の約束があるから。
(ノルウェーの賛美歌から)